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Yondana

読んだこと、学んだこと、楽しんだこと、思ったことを書き留めてしまっておく場所。

抑うつ診断を受けてわかった「なぜ鬱に『頑張れ』と言ってはいけないのか」

双極性障害(躁鬱)
 

こんにちは。

 

ただいま中程度抑うつ状態との診断を受けています。

双極性障害躁鬱病)の可能性が高いとのことでした。

 

ありきたりですが「まさか自分が」という気持ちと、「やっぱりそうか」という気持ちが半々です。

でも、なってしまったものは仕方ない。

 

せっかくなので、

今まで他人事として知っていたうつ状態に関する知識を、当事者の目線から考え直してみようと思います。

 

なぜ「頑張れ」と言ってはいけないの?

「ああ私の状況は誰にも理解されないんだ」と実感してしんどいからです。

私の場合はそうです。

 

「相談しなよ」「頑張りなよ」「こんなことしてみなよ」

は、すべて別の世界で鳴っている音のように感じます。

 

これらはすべて、健康な人が健康な人に送るメッセージです。

健康な世界での言語なんです。

 

あくまで私の感覚ですが、

急に英語で話しかけられて、「すみません、英語はわかりません。」と伝えたいのに、相手が英語でまくし立ててくるイメージです。

「頑張れ」という言葉そのものがどうこうというよりも、「頑張れという言葉が出て来るということは、この人に自分の状態を知ってもらうことは無理なんだな」という絶望がおきるんです。

 

これが関係の浅い相手ならまだしも、極限状態で頼りにしたい相手に理解されない絶望はうつ状態ではとてもつらいことです。

 

うつが重いときに言われたら、応援されているのだとわかっていても、涙ぐんでしまうだろうなと思います。

 

うつ状態では、体が生きることに非協力的

「頑張れ」と言われても、もう頑張っている。これ以上どう頑張れば良いのかわからない。

↑これ、うつ病頑張れ論でよく出てくる意見だと思うのですが、

正直はたから見たら何を頑張っているのかわからないと思います。

 

実は、頑張って生きてるんです。

 

うつ状態になって実感したのですが、人間の体って基本的に必死に生きようとしているのです。

 

気持ち「今日が正念場だ!徹夜で頑張るぞ!」

体「そんなことしないで!」→睡眠欲、体の痛みなど

 

気持ち「もっと痩せたいからご飯抜こう」

体「ちゃんと栄養ほしいよ!」→食欲

 

いくら気持ちが向いても、体が本能で不健康状態から抜け出そうとしますよね。

 

うつ状態では、体が生きようとしてくれなくなり、気持ちで生きようとするんです。

立場が逆転するイメージです。

 

体「…。」

気持ち「体重が落ち続けて、周りの人に心配されてしまう。お腹空いてないし体が重いけど、食べなきゃ。栄養のあるものを口に入れなきゃ。」

 

↓ ものを食べる

 

体「いらない。」→喉の閉塞感、吐き気。

気持ち「飲み込まなきゃ。吐かずに消化しなきゃ。」

 

私はうつの重い時期、このような感覚で食事をしていました。

気持ち悪さのなか、自分がやせ細って死んでしまったら悲しむ人の顔を思い浮かべながら、泣きながら布団の中でカロリーメイトを食べたこともあります。

 

うつと自殺はよく一緒に語られることが多いですが、

うつ状態では体がゆっくりと死のうとしている感じがしました。

 

うつの人が「もう頑張ってる」というのはこれなのだと思います。

「私が死んだら悲しむ人がいる。生きなくては。」という気持ちで、死のうとする体を引きずって生きているんです。

 

うつ状態で言われて嬉しかったこと

たいていのうつ状態の人は、自分が声をかけにくい自覚があると思います。

私はそうでした。

 

そこで最後に、うつ状態で言われて嬉しかったことを紹介します。

 

1.頑張りましたね。大変でしたね。

頑張れはきついけど、頑張ったねは嬉しかったです。

うつ状態が重い時は、本当に何も出来ません。

「自分は社会にとって不要な人間なんじゃないか」という思いにさいなまれる日もアリました。

 

そういうときに、「すごく頑張りましたね。なにも気にしないで休んでください。」

と言われると、「あぁ、頑張った分休んでいるんだ。」と心を落ち着ける事ができました。

 

2.長い人生で見たら、数年休んだって平気ですよ

うつ状態になる前、私は長時間働いていました。

月の残業時間は(正確に記録していたわけではないけど)100時間前後だったと思うし、

土日に仕事をすることも徹夜もありました。

 

そこからいきなり休みをとることになると、

「こんなことしていて良いのか?」という気持ちが出てきたんです。

私の人生はもう終わってしまったんじゃないか。

人生脱落者なんじゃないか。

 

そんなときに、「何年か休んだってたいした影響ないよ。人生80年もあるんだよ。」的なアドバイスはとても嬉しかったです。

 

とくに年上の方に言ってもらえたので、落ち着きました。

 

3.大丈夫だよ

これは「頑張れ」に似ていて、タイミングと相手によって辛いか嬉しいか別れました。

 

自分の状態をちゃんと理解してくれている人から言われると安心できます。

ただ、「うつなんて気持ちの問題!病は気から!大丈夫!」みたいな感じだと、「頑張れ」がしんどいのと同じ理由で辛かったです。

 

「心配しなくて大丈夫だよ。今は休むことに専念して良いんだよ。」という雰囲気で言葉をかけてもらえると、とても安心しました。

 

うつを理解しようとしてくれている方へ

このエントリを読んでくださっている人の殆どは、うつ状態の人にどう接したら良いのか迷っている方だと思います。

 

うつ状態に陥ったことのあるものとして、お礼を言いたいです。

ありがとうございます。

私がいま落ち着いてうつのときの気持ちを文章にまとめられているのは、そういった方たちの支えがあったからこそです。

 

 

 

それでは。

ミンスクの台所|ベラルーシ料理(六本木)|Tastes the world

Tastes the World

こんにちは。

 

世界中のごはんを味わうために旅行をしたかったけど、東京でなんでも食べられることに気づきました。

そこで、東京近辺の世界の郷土料理が食べられる場所に行ってきます。

 

今日はお友達に教わった、六本木のベラルーシ料理屋さんです。

restaurant-minsk.tokyo

 

ベラルーシ料理|ミンスクの台所

六本木一丁目駅からのアクセスがわかりやすいです。

周辺にあまりお店がないので、「ほんとにここであってる…?」ってなりますが大丈夫です。

ちかくにこれまたおいしいイタリアン料理屋さんがあります。

イタリアンというと気軽なイメージだけど、こちらは落ち着いていてデートにも良いなとおもってます。また紹介します。

 

ミンスクの台所は、現在ディナーだけの営業です。

店内は内装も照明もあったかいかんじ。北国の家庭っぽさがあって素敵です。

マトリョーシカ人形や厚手のクロス類がベラルーシ感満点。

 

ベラルーシはロシアとウクライナの近くにある国です。

世界一美女が多いともされています。

ベラルーシ 美女」で検索するとベラルーシに行きたくなります。

でもちょっと行きにくい国です。

たしか審査みたいなのが必要です。

 

ミンスクの台所の予算と料理

こちらでは、前菜、メイン、デザートと頼む感じが良いのかなと思います。

メインだけだと晩御飯には少ないです。

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マチャンカ(豚肉のサワークリーム煮)

やっぱり寒い地域は煮込み料理が美味しいです。

クレープ生地でソースをたっぷり絡め取って食べるのがおすすめ。

ほろほろに煮込まれた鶏肉をクレープ生地がふんわり包んで、

間からクリーミーなソースがとろとろでてきてお口の中が幸せになります。

 

ちなみに、メニューには「ピョートル大帝のステーキ」って肉料理があります。

世界史を思い出しておもしろいですね。

海外で日本料理のメニューに「KAMIKAZE」とか「TOKYO」とかついてる感覚。

 

デザートは「ホヴォロスト」というクッキー。

 

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 日本人的にはこれをクッキーと呼ぶのは不思議な感覚。

周りのソースと生クリームをつけて食べます。

あまくて美味しい。

好き嫌いの分かれない味だと思うのでおすすめ。

 

飲み物はやっぱりウォッカの品揃えが豊富です。

カクテルや他のお酒も揃っているので安心。

 

前菜+メイン+デザート+お酒2杯で、3000~4000円くらい見ておけば大丈夫だと思います。

 

ミンスクの台所に行くときは

六本木のメインストリート(ヒルズやミッドタウン周辺)からは少し離れているので、

そちらでの買い物とかを済ませてから行くのが良いと思います。

 

あまり席数多くないので、事前に予約するのがおすすめ。

入れなかったら、近くのイタリアンの方に行くか、六本木一丁目まで行けばビルの中にレストランが幾つかあります。

 

雰囲気も落ち着いていて、料理も量が多すぎず、女性受けの良さそうなお店です。

なにより、ベラルーシ料理という物珍しさを抜きにしても何度も食べに行きたい味です。

 

いつかメニュー制覇したいお店の一つです。

それでは。

大江健三郎『死者の奢り・飼育』が暴く人間のサディズム

本の紹介

 

こんにちは。

 

大江健三郎川端康成と並んで、ノーベル文学賞を受賞した日本人作家ですが、 

作品を読んだことのある人は少ないのではないかと思います。 

 

私も新潮文庫から出ているこの1冊しか読んだことがありません。 

 

大江健三郎『死者の奢り・飼育』

死者の奢り・飼育 (新潮文庫) | 大江 健三郎 |本 | 通販 | Amazon

 

収録されているのは 

「死者の奢り」 

「他人の足」 

「飼育」 

「人間の羊」など6編です。 

 

一番印象的だったのは「人間の羊」。 

というより、全体を通して匂い立つような人間の野性のかおり。 

生きた人間と死体。水や土や泥と建物や乗り物。服を着た理性と裸の本能。 

ふだん明確に区別されているものが、大江健三郎の小説の中ではごちゃごちゃに混じり合っています。 

 

社会の目から離れた人間のサディズム

感想をかんたんに述べると、この本は読み進めるごとに自分の野性的な部分を暴かれる本です。 

 

例えば、「死者の奢り」では薬液に浸された死体を移動させながら女性の中絶の告白を聞き、「他人の足」では脊椎カリエスの少年と看護師の性的な戯れが描かれ、 

「飼育」では黒人兵を奴隷とも仲間ともつかない距離で飼育する様が描かれています。 

 

どれも現代の日本人にはそうそう身近には感じないシチュエーションです。 

 

なのに、読了後に襲ってくるのは、 

「こんなおぞましい話に見に覚えのある自分」へのショックです。 

 

描かれている 

いやらしさ、いじわるさ、野性、暴力性、残虐性。 

 

これらを自分も生まれながらに持っていたということを思い出しながら読み進めるはめになります。 

 

例えば、  小さい頃に土を手で掻いて遊んだときの、 

爪に入り込む泥の感覚 。

しめった草の汁と昨日の雨の匂い。 

ぐりぐりうごく視力のない虫 。

その虫を木の枝ですくい上げて、穴の一番深いところに落として、生き埋めにしてしまう 。

 誰の中にもあるようなこんな無表情の残虐さは、いつのまにか身を潜めてなかったことになります。 

石鹸で手を洗い、毎日垢を流した体に清潔な服をまとって、文明的な人間の姿勢をして生きていきます。 

自分の残虐さは忘れて、悲惨な映画を見て涙を流したりします。 

 

大江健三郎の文学はそんな私達に、自分の残虐だった頃を突きつけてきます。 

 この本の舞台は、病棟や療養所、村やバスの中など、一時的に社会の目を逃れられる場所です。 

秩序のない空間で、人間の生来のサディズムが解放される。 

 

もしもあなたが、今近くにいる人間10人と、社会の目のない場所に閉じ込められたら、どんなことが起こると思いますが?

ここで少しでも恐怖を感じたなら、それはあなた自身が”社会の目さえなければ解放してしまいたい残虐さ”を持っているからです。

 

大江健三郎の文学を読むことは、私にとってこういうことです。

感覚的な感想で失礼しました。

 

それでは。

「週4時間」だけ働く。|ステップ2 捨てる(Elimination)の「E」の感想

本の紹介

こんにちは。

 

引きつづきティモシー・フェリスの『「週4時間」だけ働く。』です。

ステップ1の 定義(Definition)は、

”これから本書で紹介される考え方はとっても新しいものです。出てくる考え方・ワードを、既存の知識にとらわれず柔軟に「再定義」をしていってくださいね。”

 

といったことが書かれていました。

 

OKです。柔軟に読みます。

 

ということで、次のステップ。

ステップ2 捨てる(Elimination)の「E」

ステップ2の内容を紹介する前に、早速ステップ1の定義(Definition)を実行します。

 

時間管理の罠

時間を作るためにはなにが必要?

私含め多くの人が「時間管理」と答えると思いますが、

「時間管理」は不正解だそうです。

 

そもそも、毎日毎日神経使って管理しなきゃいけないほどやることをつめこむんじゃないよ。

 

というのがティモシーの考えです。

「時間管理」が必要な状況をそもそも生み出さない。

そのために捨てる(Elimination)。

 

これがステップ2を読み進めるために必要な再定義(D)です。

管理するんじゃない。管理しなきゃいけない状況を作らない。

これを頭に入れて読み進めていきます。

 

効率的に出来ていても有効なことが出来ていない?

私は一時期、自分の能力に対して仕事をたくさん抱えすぎていました。

100個やることがあったら、それぞれに対して

・他の仕事と一緒に消化できること

・システムで効率化できること

・アウトソースできること

を考えて、一気に効率化しようとしていました。

このやり方は正しいと信じていたし、実際に効率化の成果を見て褒めてくれる人も居ました。

 

しかし、ここには重要な前提が抜けていました。

 

それは、「そもそもこの仕事は有効なのか?」という目線です。

ティモシーは、私が必死に追っていた効率性の他に、有効性の目線について触れています。

 「有効性」とは自分の目標に近づくように何かをすることを言う。「効率性」とは自分に与えられた課題(それが重要であろうとなかろうと)を可能な限り無駄のない方法でやり遂げることを言う。有効性を無視して効率性を求めているのが、世の中のデフォルトモードである。

 (「週4時間」だけ働く。・ティモシー・フェリス・P110)

 

さらに、

ここに、心に刻んでおきたい2つの真理がある。

1 おうでもいいことをうまくやっても、それが重要になるわけではない

2 多くの時間を必要としても、その仕事が重要になるわけではない

 

何かをやる前に、それが本当に有効かどうかを考えなさいよ。

(有効かどうかは、自分の目標にどれくらいインパクトするかではかります。だから自分の目標をしっかり定義(D)することも大事。)

有効じゃないことをどんだけこね回したって重要度は上がらないよ。

 

ということが書かれていました。

 

小学校の頃から、与えられた課題をいかに速く正確に解決するかで評価されてきた人達にとって、手痛い提言です。

 

ただ、「有効性」の考えを取り込まない限り、生涯かけてもたどり着かないような夢を見て、遠くでちまちまと目の前にある課題をこなす毎日です。

そこでいくらかの効率化ができたからって、せいぜい優秀な作業者になるだけ。

私が仕事をしていた時は、思いっきり優秀な作業者を目指していました。笑

 

パレートの庭「80/20の法則」

では、実際にやらなきゃいけない「有効性」の高いものってどのくらいあるのか?

その説明に、「80/20の法則」が出てきます。

 

富と所得の80%は人口の20%によって作り出され、所有されている。

と言うものです。

 

それを仕事にも応用して、

成果の80%は労働の20%からもたらされる

利益の80%は顧客の20%からもたらされる

と考えます。

 

そうすると、80%の労働を削ってもいまだしている成果の80%は保たれることになるし、

80%のクライアントを切ってもいまだしている利益の80%は保たれることになります。

 

これに似たことを私も経験したことがあります。

仕事をしていたとき、私達のチームは記事制作のアウトソース先を10件近く持っていました。誰とも良好な関係性を保てるように細やかなやり取りをしたり、それぞれの長所短所を活かした業務の割り振りに毎月時間を使っていました。

10件の内訳は、昔からのやり取りのある個人の方やプロダクション、クラウドサービスなどさまざまでした。

 

あるとき、制作しなければいけない記事の数が倍近くになりました。

そこで、アウトソース先を増やすのではなく、1社にしぼりました。

1社にしぼることで、これまで各アウトソース先と行っていた受発注の処理や情報共有、メールの数電話の数来訪の数…などが1回のみになったのです。

 

もちろん体制構築の苦労はありましたが、制作している記事数は従来の倍近くです。

 

文章にしてみるととってもシンプルな話しなのですが、

現場に居てみると、10社と取引していると10社を等しく重要で継続必須なものと思い込んでしまいがちです。

そうではなく、

  • 追っている成果は何なのか(定義)
  • 各社がどれだけ成果にインパクトしているのか(有効性の検証)
  • インパクトの小さい80%には対応しない(捨てる)

で考えてみると、実は毎日のTodoリストは今の20%に減るかもしれないのです。

 

どれだけ時間があっても足りない人のためのパーキンソンの法則

「今回は納品日まで2ヶ月あるから余裕だろう。前回は1ヶ月でも乗り切ったんだから。」

そう言って結局納品日の3日前から徹夜が続くようなことが、今まで何度もありました。

私はやることをもれなく洗い出すのが苦手だったし、時間があると思うといつまでもだらだら作業するタイプでした。

これは自分のだらけグセが招いていることだと思っていたのですが、社会人になってみると、自分より遥かに優秀で経験豊富な先輩たちと仕事をしていても、期限ギリギリが起こります。

 

ティモシーは、この現象について興味深い法則を教えてくれました。

パーキンソンの法則と言うものです。

ティモシーから引用すると、

「パーキンソン」の法則とは、「仕事は、完了するために割り当てられた時間に応じて(見た目が)重要で複雑なものへと膨れ上がっていく」というものだ。

 ということです。

同じ仕事でも、1ヶ月でやることになれば、1ヶ月いっぱいかかる量と複雑さになるし、

2ヶ月でやることになれば、2ヶ月いっぱいかかる量と複雑さになる。

ということです。

これは経験がありすぎるのでごちゃごちゃかくのはやめます。

夏休みの宿題、レポート提出、公共料金の支払。

 

ステップ2 捨てる(Elimination)の「E」のまとめ

このあとも「低情報ダイエット」の方法やメールチェックの短縮化などが続くのですが、

個別のスキルは本を読んで下さい。

 

ステップ2の捨てる(Elimination)では、

  • 「効率性」だけではなく「有効性」を見極めること。
  • 有効ではないものの80%を切り捨てても今ある成果の80%は保たれる。
  • 長く時間をかけるほど仕事は膨れ上がる。 短く済ませよ。

この3つが重要なポイントかなと思います。

ステップ2はすぐに実行にうつせるようなテクニックも紹介されていて、実用的な章でした。

 

ステップ2を読んだことで、ステップ1で紹介されていた内容の理解がより深まったかな。

次はステップ3 自動化(Automaton)の「A」です。

 

それでは。

「週4時間」だけ働く。|ステップ1 定義(Definition)の「D」の感想

本の紹介

こんにちは。

 

友達のすすめで、『「週4時間」だけ働く。』(著:ティモシー・フェリス)を読んでいます。

 

強い勧めだったのですぐにAmazonで購入し、次の日カフェで早速読み始めたのですが、全部で637ページとなかなかのボリューム。

 

すべて読みきる頃には最初の頃の内容を忘れてしまいそうなので、大きな段落ごとにエントリにしていくことにしました。

 

この本は大きく分けて、

 

  • はじめに 知っておいてほしいこと
  • ステップ1 定義(Definition)の「D」
  • ステップ2 捨てる(Elimination)の「E」
  • ステップ3 自動化(Automation)の「A」
  • ステップ4 解放(Liberation)の「L」
  • おわりに 言い忘れていた、大切なこと

 

に分かれています。

 

はじめに 知っておいてほしいこと

ここでは、まずFAQと題して、「週4時間働くという考えに対してのよくある質問」に対して筆者がひたすら回答していくページがあります。

これは読み飛ばしても支障はないです。

ただ見開き1ページだし筆者のキャラが出てて面白いので読んでもいいと思います。笑

 

そのあと、「病状経過の年表」という題で、筆者ティモシーの人生の年表が登場します。

この年表、そのへんの伝記にあるような無機質なものとはわけが違って、とにかく面白いです。

ティモシーの非凡さ、破天荒さ、常識破りで無鉄砲なようで超人的な人生の軌跡が書かれています。

 

初読のときは、どうしてティモシーの人生の年表がはじめに収録されているのか不思議でしたが、ステップ1まで読み終えた今となってはその必要性がわかります。

 

ティモシーがティモシーであるために、「週4時間」だけ働くスタイルは生まれ、

「週4時間」だけ働くことの目的は、ティモシーのように生きることだからです。

 

これを理解するためには、次の『ステップ1 定義(Definition)の「D」』まで読む必要があります。

 

ステップ1 定義(Definition)の「D」

ここで、ステップ1の「定義」とはなんの定義のことかをしっかり抑えないと、この本にはついていけなくなります。

なんでかって、この本は

偉人の名言、ティモシーの体験、本論、具体例、理解を深めるための質問リスト……などなど。

 多くの要素から成り立っているので、ぼけっと読んでいると印象的なストーリーだけ頭に残って本論が抜けてしまうからです。

 

さて、本題にもどります。

ステップ1でいう「定義」とは、

「成功」や、その周辺の言葉の再定義だと私は理解しました。

ステップ1をものすごくざっくりまとめると、

 

このあと続くステップ2~4までの話を理解するために、いったんあなたの中の常識的をまっさらにして、新しい意味で言葉を定義していきましょうね。

ということが書かれているんです。

 

それほどに今までの常識とは違う話がされるということです。

頭を柔らかくするのがまずステップ1でやるべきことです。

 

常識的な考えをいったんすてて考えようというときに、わかり易い例だったのが、「絶対収入」と「相対収入」の話。

 

「絶対収入」と「相対収入」

あなたは、給料が増えれば、より楽しい生活を送ることができると思いますか?

これは殆どの人がYesと答えるんじゃないかと思います。

 

それでは、給料が増えることが本当に大切なのでしょうか?

ここからは本文の引用です。

2人の働き蜂社員が競い合っているとしよう。社員Aは週に80時間働き、社員Bは週に10時間働く。2人とも年に5万ドルを稼ぐ。さて、真夜中をリッチに過ごしているのはどちらだろうか?Bと答えたなら正解。これが絶対収入〈absolute income〉と相対収入〈relative income〉の違いだ。

 

簡単すぎる問いに思えるかもしれませんが、このようにティモシーが出していく「新しい定義」をひとつひとつインプットしていくことが、ステップ1では重要なようです。

 

特に、「資産的な金持ちであること」と、「億万長者のように暮らすこと」はイコールではないということに関しては何度も強調されます。

 

他にも、私達が日頃思い込んでいる常識が次々再定義されていきます。

 

ティモシーの逆説的な再定義

・いくら直しても人並みになれないような弱点の修正より、強みを増強しよう

・最も恐れていることこそ、もっともする必要があること

・行動することのデメリットばかり考えるのではなく、なにもしないことの大きな損失に目を向けよう

 

などなど。

 

ここにつらつら書き連ねてもしょうがないので、詳細は本を読んで下さい。

 

まとめると、

「週4時間」だけ働く。|ステップ1 定義(Definition)の「D」で抑えるべきポイント

  • この本を読むのに常識は邪魔者。
  • 言葉の意味の再定義をしっかりおさえること。

 (あらゆる言葉が、あなたが今まで使ってきた意味では使われない。)

  • 特に、金銭の額と豊かな生活はイコールではないことに要注意

こんなところでしょうか。

 

ステップ1読了までに100ページほどなのですが、内容だけではなく文章が結構面白いです。笑

600ページ超と、少し重ためですが、楽しんで読んでいこうと思います。

 

それでは。

 

私が人に勧められた本をその場で買う3つの理由

本の紹介

こんにちは。

 

私は基本的に人に勧められた本は一読します。

それが後輩でも上司でも友人でも。

 

タイトルを聞いてgoogleで検索し、そのままamazonのページに入って購入します。

kindle版があればその日の帰り道には読み始めています。

 

この前『人に勧められた本を読むべきか』がちょっと話題になったので、こちらに私の考えをまとめておきます。

 

冒頭で書いたように、私は人に勧められた本は読みます。

3つのメリットがあるからです。

 

1.良書に出会える確率が高い

特に特定の分野についてよく学んでいる人からのおすすめ本はためになることが多いです。

たまに自分をよく見せようとしてわざと小難しい本を勧めてくる人もいますが、そういう時は「サルでもわかるような本がいいんです」ぐらい言えば読みやすい本を教えてくれると思います。

 

2.普段読まないジャンルの本をよむチャンスになる

私は明治・大正期の日本文学が好きですが、高校生のときに読書好きの友人の勧めで読んだ『姑獲鳥の夏』(著:京極夏彦)を読んで彼の作品の虜になった経験があります。

 

他にも、社会人の先輩に教わった『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』(著:中島聡)や、元シェアメイトに勧められた『「週4時間」だけ働く』(著:ティモシー・フェリス)など。

上記の本は、おそらく私が進んで手に取るタイプのものではありませんでした。(勧められた当時は)

だけど、読後の感想で言えばどれも読んでよかったと思えるのです。

この経験を重ねていくと、はじめ食指の動かない本でもひとまずかじってみるか、という気持ちになってきます。

 

3.勧めてくれた人の思想がちょっと理解できる

勧められた本が冒頭から最後の一行まで全くおもしろくなくても、最後のメリットがあります。

それは、人のおすすめの本を読むことで、その人の思想をちょっとだけ理解できるという点です。

人に本を勧めるとき、自分の読書体験の中から最もインパクトのあったものや、示唆に富んでいたもの、教養になったものを選ぶでしょう。

人のおすすめの本は、その人の読書体験の中で最もその人の魂と共鳴した本であるはずなのです。

(中には「知的な人間だと思われたい」という気持ちから、さわりしか読んでいないフロイト精神分析入門を勧めてくる人もいるかもしれないけど。)

 

本自体から自分に吸収するものがなかったとしても、「この本を勧めてくれた彼はこういう考えに共鳴するのね」と知ることができるのです。

(そして、だいたいその後仲良くなれるかどうかも何となく分かる)

 

以上が、私が人に勧められた本を迷わず読む理由です。

「どんな本か」ももちろん重要ですが、2や3のメリットは「人のおすすめである」ことに由来しますから、

「おすすめだよ。」と言われた時点で購入します。

 

今後の読書の本選びや

勧められた本をしぶしぶ読むときの動機づけになれば幸いです。

 

それでは。

「空中ブランコ|義父のヅラ」の不謹慎衝動と私の白紙衝動

本の紹介

 

こんにちは、

活字だけで声を出して笑ったのはこの本くらいじゃないかと思います。 

 

奥田民生の伊良部シリーズ「空中ブランコ

伊良部先生が出て来る伊良部シリーズとして、「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「町長選挙」の3部作になっています。

空中ブランコ」のタイトルでアニメ化もされていますね。

私がここで紹介するのはすべて小説の方です。

 

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一番の魅力は天才医師か藪医者か、最後まで判断の付かない伊良部(いらぶ)先生。 

どこか、「弁護士のクズ」に似ている感じがしますね。 

 

伊良部先生の診察や治療は、正直言って「何もしない」か「何の役にも立たない」か「火に油を注いでいる」か。 

この先生は患者の症状を面白がってたきつけたり、「別にいいじゃん」で放置するばかりです。 

 

なのにいつの間にか解決している。 

 

「最初からこうなることを見越してた?」 

「全部タダの偶然?」 

 

毎回この疑問を残して終わります。 

 

『義父のヅラ』( 「空中ブランコ」収録)の個人的な感想

特に面白かったのは、「空中ブランコ」の中の「義父のヅラ」。 

 

真面目で順調にキャリアを歩み、家族にも恵まれている男性医師が、「不謹慎なことをしたくてしたくてしょうがなくなってしまう」という話です。 

 

シャンパンタワーを見たら壊したい、義父のヅラをみたらはずしたい。 

思いっきり不謹慎なことをする感覚、したあとのみんなの反応を想像すると、衝動が抑えきれなくなる。 

 

まだ実行をしたことはないけど、いつ行動に移してしまうのか自分でも怖くなって来院します。 

 

この感覚、私はすごく共感できます。 

デリケートに扱ってきたものほど、煩わしくて破壊したくなる。 

大切に積み上げてきたものほど、たくさんの糸で自分に絡みつきます。 

その糸が絡みはじめたとき、ゆっくりほどくのではなく、ハサミでばっつり切りたくなってしまう。 

 

自分のなかでは「白紙衝動」といつのまにか名付けていたのですが、 

なにもかもを白紙に戻したくなる衝動です。 

 

たとえば仕事だったら、ひとつひとつは小さなトラブルでも、それが束になって自分にのしかかってきたとき、 

「会社の人全員から忘れられてしまいたい」 

「いなくなりたいというより、いなかったことになりたい」 

という衝動に駆られます。 

 

「明日の新幹線を予約して、遠くに行ってしまおうかな。騒ぐ人達が居るかもしれないけど、出発した私にとっては些末なことに思えるんだろうな。」 

 

こんな気持ちです。 

 

 

自分に絡みつくことから逃れたい。 

大事なことだからこそ煩わしい。 

 

”ほどほど”の感覚をとるのが苦手な、完璧主義で生真面目な人間の考えることです。 

本来、大事な事だからといって肩がこるわけではない。 

煩わしくならない程度の力のかけ方で良いんです。 

 

でも、それが上手く出来ない。 

だから、限界が来たときに一気に0にしてしまいたくなる。 

白紙衝動です。 

 

けど、白紙にするのもそれなりにエネルギーが必要です。 

「私の力では無理なので、プロジェクトを下してください。」と掛け合うのも精神力をすり減らすし、 

無駄に強い責任感がそれを良しとしません。 

 

そこで出てくるのが、「思いっ切り不謹慎なことをして後戻りのできない状態にする」です。 

 

・大事なものを壊しちゃう 

・超偉い人に恥をかかせちゃう 

・その場の雰囲気を一気に壊しちゃう 

 

などなど。 

迷惑極まりないですね。 

 

自分にストッパーをかけることが出来ないから、自分の外側に混乱を起こしてしがらみから逃れるんです。 

 

「義父のヅラ」の主人公に、私はとても良く似ていると思います。 

(私の個人的な読み方の中では、ですが) 

そして、似ている人って結構いるのではないかと思います。 

学校で嫌な事があるときに、「学校が火事になっちゃえばいいのに」って考えてたタイプの人とか。笑 

 

同じ感覚を持っている人には、ぜひ読んでいただきたいです。 

このシリーズに出てくる患者さんに共感できる部分があると、不思議に癒されるし、なくてもただただ笑えます。笑